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登録日:2010/03/05 Fri 16 49 15 更新日:2024/06/26 Wed 09 36 50NEW! 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 GP02 イケメン ガンダムアストレイ テライケメン 三国志 世界史 中国史 兄 呉 孫呉 孫家 孫家は代を重ねるごとにDQNになってゆくのだ! 孫策 小覇王 後漢末 歩く死亡フラグ 浅野真澄 爆乳 美少女闘士 雪蓮 麒麟児 孫 策(そん さく)とは「三国志」の英傑の一人である。字は伯符。 孫堅の息子で孫権・孫尚香の兄、伯父には呉景(孫堅の妻・孫策の母の弟)など。 子は孫紹に娘が三人、妻としては大橋(喬)が著名だが、正妻の可能性は低い(演義では正妻)。 ぶっちゃけレイプされて連れてかれたワケで、しかも妾生活数ヶ月で一生貞操守らなきゃならなかった大橋の内心は憎悪しかなかったと思われる。 まあ、乱世だと当たり前。むしろ普通。 彼女が孫策の死後、愛人を作ったかも定かではない。 ちなみに小橋(喬)も周瑜の正妻ではなく、子孫についても記録が残っていない。 【経歴】◇前歴 ◇揚州攻略 ◇袁術との対立 ◇自立へ ◇転落 【評価】 【三国演義】 【各作品での孫策】 【経歴】 ◇前歴 175年生まれ。 盧江の名門貴公子・周瑜とは生まれが一月しか違わず、しかも幼なじみであったため、両者は寝起きを共にし、兄弟のように過ごしたという。 190年の「反董卓連合」では周瑜を伴って父の軍に参加。ただ、当時15歳の少年に何ができるわけでもなかっただろう。 191年、父の孫堅が劉表に返り討ちに遭うと、孫策は父の爵位「烏程侯」を引き継いだ。 しかし当時、孫家軍団の指揮権を握ったのは孫賁(孫堅の兄の子。孫策には従兄になる)であり、16歳の孫策は神輿にもならなかった。 孫賁はその後、劉表と和睦して孫堅の遺体も取り返し、一族を率いて袁術に合流する。 孫策も、一時は孫賁麾下から離れて徐州の広陵郡・江都県に移り住んだが、在地の名士・張紘の助言を得て再起を志し、193年に袁術のもとに所属。 すでに孫家軍団は孫賁が引き継いでおり、孫策の直属は呂範・孫河などわずかしかいなかった。 それでも袁術の勧めで、呉景と孫賁が攻略中だった丹陽方面で募兵を開始するが、在地豪族・祖郎に襲撃されて壊滅、孫策は命からがら逃げきった。 (その後孫策は呉景の支援を受けて孫河・呂範と連携し、祖郎を破る) 袁術麾下からは、孫策は好かれてはいた。張勳・橋蕤の両大将は年下の孫策を大いに尊敬し、袁術も「わしの息子にもこれぐらいの才能があれば」と嘆き、彼に「懐義校尉」の官職を手配している。 ただし「九江太守や廬江太守にしてやる(*1)」という約束は反故にしており、孫策は不満を抱いたとされる。 ……ただし袁術は当時孫家当主だった孫賁を郡太守どころか予州刺史に任命するなど、孫家軍団に対してはしっかり礼遇しており、 そもそも仕官して間もない、二十歳になるかならんかの孫策が、十数もの県を束ねる「郡の太守」になぞなれるはずがない(*2)ことを考えると、この話自体が創作か孫策がとんでもない世間知らずと考えられるが。 ◇揚州攻略 194年、揚州刺史・劉繇が、曲阿を拠点、長江を境界として、張英・樊能・于糜の三将らの防衛線を敷いて、呉景・孫賁の攻撃を圧倒していた。 ここで孫策は袁術に進言し、呉景・孫賁の援軍として劉繇討伐に向かうから兵を貸してくれと頼む。 袁術が返してくれた(*3)のはわずか一千の兵と殄寇将軍・折衝校尉の官位であった。 ちなみに袁術としては、孫策が野心を持っているのは悟っていたが、劉繇のほかにも江南には強敵が多く、それらすべてを平らげてかつ自分の敵になるとは思えなかった(むしろ協力する余地があると見た)とのこと。 ただ、「わずか」といっても程普・韓当・黄蓋・朱治といった故・孫堅の幕僚がいたことは重要である。 孫静(*4)や徐琨(*5)ら親族が支持してくれたり、呂範や周瑜ら中小豪族が行く先々で合流してくれたりして、 孫策隊が前線につくころには兵力が六千ほどにも増加。 さらに周瑜の補佐と口利きもあって、地方名士の張昭・張紘ら、水賊出身の周泰・蒋欽・陳武・凌操・宋謙らを麾下に収め、人材層も厚くなった。 勢力を充実させた孫策は、堂々と長江を渡ると、まずは牛渚の劉繇軍兵站拠点を制圧して大量の物資を鹵獲。 それを足掛かりに、孫賁らの進撃を阻んできた張英・樊能・于糜らの防衛線や、劉繇と組む笮融・薛礼らの軍、さらに曲阿の劉繇本隊をもことごとく撃破。 笮融との戦いで太股に矢傷を負ったり(*6)、偵察中だった太史慈と鉢合わせして、史書にも珍しい激しい一騎打ちを繰り広げたりもしている。 劉繇本隊の駆逐後は江南一帯のさらなる平定に乗り出し、呉郡太守・許貢、会稽太守・王朗、太史慈が束ねる劉繇軍残党、山越などの異民族、厳白虎など地方勢力を撃破。 呉郡、会稽郡、丹陽郡などを平定し、太史慈など旧敵対兵力をも傘下に加えて、江南に強固な基盤も作っていった。 ◇袁術との対立 一方、そうした孫策の飛躍を苦々しく、あるいは痛しかゆしで眺めていたのが袁術である。 孫策は「借りた兵を返す」と称して呉景・孫賁とその部隊を送り返して彼との対立回避を図ったが、 これはある意味で「孫堅亡き後の孫家軍団の棟梁」であった呉景・孫賁を孫家軍団から切り離し、かつ江南の孫家勢力を完全に自分のものにするための策略でもあっただろう。 あるいは袁術のことだから、孫賁を焚き付けて孫策を抑えさせようとしたかもしれない。少なくとも孫一族の孫香を派遣して攪乱しようとは狙っていたようだ(*7)。 しかし孫策は孫賁を「返し」、さらに袁術が「丹陽太守に」と派遣した重鎮・袁胤をも、力ずくで駆逐。 ここに至り、袁術と孫策は完全な敵対関係に入った。 この対立関係を背景として、一時袁術の元に戻っていた呉景や孫賁、それに周瑜らも袁術を見限り孫策の下に再合流。 また魯粛・諸葛瑾・呂蒙・虞翻なども配下に加えている。 ◇自立へ 袁術との対立は、とりもなおさず江南から中原への進出をも意味する。 また孫策は、西進して父の仇でもある劉表を討ち、荊州も制圧しようと狙っていた。 その一環として、まずは国内の反乱分子の粛清から着手。 もと呉郡太守で孫策に敗れた許貢が「孫策の勢いは項羽に似る」と朝廷に上表しようとしたのを知ると、劉邦を始祖とする漢朝に対する讒訴と判断して処刑するなどして、内部を固めようとした。 また、かつて孫策を破った祖郎が、袁術の支援で再び孫策の背後を突くと、激闘の果てについにこれを撃破、祖郎を傘下に加えた。 197年には袁術が皇帝を称する。 孫策は袁術の対抗も兼ねて、献帝を擁立して漢朝の正統性を掲げる曹操に接近。袁術討伐戦で兵站支援をしたことで、討逆将軍の官位と呉侯の爵位をもらっている。 しかし、いずれも野心家同士の同盟関係は噛み合うはずもなく、199年の袁術死後はその残存兵力を巡って、引き込み工作で争ったりしている。 結局、袁胤を初めとする汝南袁氏勢力はほとんど孫策が併合し、その人脈を含めて、孫策の勢力はいよいよ増強された。 200年には総力を結集して荊州方面へと進撃し、劉表軍の前線司令官・黄祖の軍を壊滅させた。 この戦いぶりはすさまじく、劉表の援軍まで迎えた黄祖軍は全部隊が壊滅、兵士数万が戦死、軍船六千が鹵獲、黄祖は妻子まで捕えられるなか、身一つで逃げ延びたという。 戦況を聞き調べた曹操をして「獅子の子とは戦わんほうがいい」とまで言わせたほどの完勝であった。 ◇転落 一方孫策は、西の劉表戦とは別に、北上して曹操や陳登を打破しようと狙っていた。 特に陳登とは因縁があり、かつて二度にわたって撃破されている。 折しも西暦200年、河北の雄・袁紹が曹操と決戦していた「官渡の戦い」の時期である。 孫策は袁紹と密かに連携し、曹操が北の戦線に主力を差し向けている時期に、許昌か徐州かを制圧しようとしていた。 しかしその準備中、仮のさなかに一人になったところを、亡き許貢の残党が放った刺客に襲撃される。 彼らの放った矢は孫策の顔を貫き、何とか逃げ帰ったものの致命傷となった。 死を悟った孫策は、後任には幼い息子ではなく弟の孫権を指名し、後事を張昭らに託して亡くなった。享年わずかに26歳。 【評価】 史書に記されるぐらいのイケメンで、闊達に笑う親しみやすい性格だった。それで多くの人から好かれたという。 あの袁術でさえ「こ奴がわしの子であれば、死んでも悔いはないものを!」とまで言い切った。 ただし、支配者としては苛烈な一面もあり、敵対勢力や在地豪族を殺しまくったという。 それで多くの人士が荊州や交州へと逃亡したり、遺族が恨んで刺客を放ったりしており、特に後者が死因にもつながった。 陳登や陶謙も彼を憎んでおり、特に陳登は孫策暗殺の黒幕ともいわれている。 その苛烈さのおかげで、軍人としては極めて優秀。 孫賁が破れなかった劉繇の防衛線をあっさり大破し、江南各地をあっさり平定し、黄祖の軍を全滅させ、その勢いはあの曹操からも恐れられている。 機を見ること自体が敏感であり、袁術残党の奪い合いでは、巧みな謀略を素早く巡らす一面もある。 もし彼が暗殺されなければ、確かに曹操は袁紹・孫策に挟撃されて、滅亡したかもしれない。 すると袁紹VS孫策で一足早く南北朝時代が訪れただろうか。 しかし結果を考えると、軍人としては懸絶していても、政治家・支配者としての素質には欠けていたといえる。 ある意味では許貢が言ったとおり、項羽とよく似ていたといえる。 なお、後継者の孫権はのちに皇帝となった際、孫策には皇帝位を追贈せず、「長沙桓王」とした。 しかも彼の子孫はその王位すら継承されず「上虞侯」である。王でも公爵でもなく侯爵だ。 陳寿によると、建国の君主に対しては常軌を逸した追贈形式(むろん悪い意味で)であったらしい。 しかし呉と言う国は言わば豪族連合であった為、やむをえずこうしたものだと思われる。 仮に孫策に皇帝位を追贈してしまうと孫紹(孫策の子)が皇嗣になってしまう為、権力の分断は目に見えている。 そうでなくとも前述の通り在地豪族を殺しまくっている孫策に対して皇帝位はポンとやれるものではなかっただろう。 (ちなみに孫権は自身の息子である孫慮に対しても侯位を与えている為、別に嫌ってるから当てつけで侯位を与えているわけでないのは間違いない。まあ、後に孫覇を王位につけてしまったせいで泥沼引き起こしたけど) 余談ながら、孫策の孫は孫皓に殺害されており、家は絶えている。 【三国演義】 許貢ではなく厳白虎の残党に襲われる。『捜神記』という逸話集からの引用で、以前に于吉という道士が民の信奉を集めていたのを処刑していたのだが、病床の孫策の元に于吉の霊が現れて体調が悪化して死亡。 【各作品での孫策】 良くも悪くも英雄然としたパーソナリティや周囲との人間関係は非常に美味しいのだが、序盤で死ぬし、生き残っちゃったら孫権の立つ瀬がない。 三国志の物語を描く作品ではどうしても順当に死亡要員となりがち。 逆にそうでない作品であれば優遇されたり主人公に上り詰めることもしばしばである。 ●横山三国志 アニメと原作で違う。 アニメだと劉備らと出会う描写があるが、呉郡平定が描かれて居ない。 原作だと太史慈との巡り合わせなど、呉の中期で主人公格として描かれる。 ●蒼天航路 「乱世を打ち砕くのはこのたぎる心ではないか!」 何故か満州族の髪型をしている。 董卓討伐の時から父親の軍に周瑜と従軍し、長江からダイブしたり、色々と忙しい。 が、やはり曹操の背中を突こうとした所で刺客から受けた毒で死亡。 呂蒙に伝わる血噴き芸を披露した。 ●三国志大戦 自爆付き超絶強化の『小覇王の蛮勇』、色々豪華だけど結局自爆する『小覇王の快進撃』、(笑)扱いだったが現在は屈指の強カードの『雄飛の時』の三枚、いずれも超絶強化で、勇猛と魅力の特技を持つ。 単独で自爆するので大喬よりも小喬との相性が良く、散々不倫デッキと言われネタになってる。 3.1で追加された蒼天LEは蛮勇で「周瑜、俺達の時代が来たのだ!(計略)」→「俺は天命に追い付かれたよ(撤退)」とこちらもネタに。 3.59で特技によって付加効果の『究極の大号令』が追加された。もちろんカードイラストはどっかの新聞記者、故に勇猛はない。 また、娘も参戦した。娘との相性は良好である。 リブート後は『究極の大号令』以外の3枚が続投と安定感を見せている。しかし雄飛の方は3コストにまで上げられたため、こちらは大きく使用率を落とした。 そして1.5コストの方も追加されたが、カードイラストが項羽。小じゃねえじゃねえか! Ver.3では刻印持ち2コストと、「ダンまち」とのコラボで遂に1コストまで追加。 一人で全コスト網羅してしまった。 ●コーエー三国志 武力型の中では知力が高い方で、関羽や趙雲、張遼などにタイプが近い高能力。 多くの作品で総合値が上から10番目くらいに食い込んでくる強烈な能力だが、序盤シナリオまでの命。 作品によっては于吉を斬るイベントが発生し、プレイヤーの選択で寿命が減ったりする。 ●無双シリーズ 爽やかかつ暑苦しいアゴ鬚アニキ。得物はトンファー。 イントネーションが変なセリフがあり、戦国無双でセルフパロディされたずぇ! 孫策をプレイヤーキャラとして使用すると早逝が無かった事とされ、弟の出番をほぼ食ってしまう活躍を見せる。しかし5以降では刺客からの攻撃で死亡するようになり、出番が父に次いで少なくなってきた。 ●白井式三国志 初登場シーンですでに幽霊、生前の初登場は剣が突き刺さって死ぬ直前という薄幸キャラ。 玉璽掘り当てネタでよく登場する。 ●一騎当千 主人公で爆乳。 作者曰く「絶対に主人公にされた事が無い武将を主人公にしよう!」と言う事で選抜されたらしい。 孫権のイメージ故か金髪碧眼で描かれており、連載開始から一回も髪を切っていないので、序盤はセミロングだったが今では脚まで伸びた超ロングヘアになっている。 史実を上回るほどアホな戦闘マシンのメスゴリラ。周瑜くんとは従姉弟関係で、両片思い寄りの周瑜の片思い。そこがいい。 序盤は笑っちゃうほど弱く、毎回のようにボコボコに痛めつけられては失禁して気絶、そして暴走というポンコツぶりであった。 主人公として時たま成長していったりするが、最近、寝てるか空気になりやすい。アニメ2期では主役を関羽さんに取られた。 原作最終章『真・一騎当千』では留守にしているので孫権が二代目主人公に着任している。 『ハヤテのごとく!』では中の人が同じ朝風理沙から「主人公の影が薄い方」「見てて面白い」などと言われていた。 ●恋姫無双 無印では故人として登場し、『真・恋姫無双』より本格的に登場。真名は雪蓮(しぇれん)。 奔放で人に好かれる面と、冷酷で容赦をしない面を併せ持つ。さらに戦闘狂の気質もあり、かなり複雑な性格をしている。ちなみに素は自由奔放な方。 戦いでメンタルが昂ぶると身近な人に性的に襲いかかって解消を図る物騒なケダモノお姉さま。 悪癖も含めて割と順当な孫策像か。 価値観がやや古めで貴族主義的だが、それは実情に即した認識でもあった。 呉ルート中盤で戦死するが、そのシーンは呉ルート屈指の燃えシーンと名高い。逆に言うと他ルートでは死なない。 アニメ版では周瑜(女)と××××していたことが判明した。 ●十三支演義Ⅱ 開始時点で既に死亡。一応、周瑜の口から存在が語られており、彼にとって半身とも呼べる戦友であったことは確か。 ●天地を喰らう いたようないなかったような… ●ブレイド三国志 主人公・轟蘭市郎が孫策の武霊士(ブレイド)。 持ち前の声と度胸で難敵を退け、彼の歌声はジャイアンにも匹敵する程である。 途中覚醒する覇王モードはもはや主人公補正。 劉備とか…曹操にもあるのだろうか? ●BB戦士三国伝 孫策サイサリスとして登場。 三国無双リスペクトか、アトミックバズーカがモチーフのトンファーを獲物とする偉丈夫。 元はただの脳筋ヤローだったが、周瑜ヒャクシキと出会ってからは学問の大切さを知り、知己となった。 父・孫堅ゼフィランサスの死後、跡を継いで江東を纏め上げるも、志半ばにして散る。 その大器は死後も呂蒙ディジェや甘寧ケンプファーらが惜しむ上に孫権ガンダムを見くびるほどであった。 余談だが、本作を見た後で孫家演者のモチーフとなったOVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』を見ると鬱になること請け合いである。 ●SDガンダムワールド 三国創傑伝 孫策ガンダムアストレイとして登場。 アニメでは孫尚香ストライクルージュ共々お留守番を喰らった。 追記、修正宜しくお願いいたします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] コーエイの三國志では作品が進む度に知力が下がっていっている、仕方無いね -- 名無しさん (2013-10-23 05 53 44) とんだクレイジーだった -- 名無しさん (2013-11-10 14 17 32) とにかく勢いが必要な場面や早急に領土とか広げる為にはこの人が最適なのは間違い無いかも -- 名無し (2013-11-27 01 26 29) SDガンダム三国伝では勇猛ながらも冷静かつ家族思いな人格者という完璧超人。誰だお前。 -- 名無しさん (2014-03-14 01 33 50) 演義では、仙人様殺して(しかも約束を破り)そのまま狂い死ぬとか言う死に方してた。演義自体が燭を贔屓して呉は燭の引き立て役に書いてる訳だがそれにしてもあんまりだろう。 -- 名無しさん (2014-07-07 08 04 08) ↑あのシーンは孫策陣営の書かれ方もひどいな。主君のいる宴会中にも関わらず于吉を礼拝しちゃうんだから。 -- 名無しさん (2014-10-02 12 28 20) 無双のイメージとだいぶ違うな・・・ -- 名無しさん (2014-12-04 22 02 31) 一般的なフリーダムで破天荒なのは親父で、この人どっちかっつーと呉の土台を作り上げるためにあれこれ頑張った苦労人だからねぇ -- 名無しさん (2015-03-11 19 47 19) 正史基準で語るのがメジャーになった三国志の人物の中でなぜか未だに演義の「小覇王」のイメージが先行してる人。実際は戦闘スタイルも人材起用も全然似てないのに・・・ -- 名無しさん (2016-04-28 16 27 15) なぜこの記事は太史慈のことを「ふとしじ」って書いてるんだ? -- 名無しさん (2017-04-15 01 44 13) ↑6 -- 名無しさん (2019-07-16 21 27 13) 于吉は呉関係の史書でちゃんと存在するぞ呪い殺されたって書いてるのもしっかりあるむ -- 名無しさん (2019-07-16 21 32 29) 寧ろ陸氏関係のエピソードや陳登に負けた事を省かれてる事考えると孫権以上に得してる -- 名無しさん (2019-07-16 21 34 48) 死因に関しては郭嘉の分析が興味深い -- 名無しさん (2019-07-16 22 35 12) 横山アニメだと父はシロッコ、弟はカミーユ、本人はトロワという豪華な孫家 -- 名無しさん (2020-02-04 02 26 00) この人の諡号が「桓王」止まりなのはやっぱ納得いかないものがあるな。後に西晋の初代皇帝となる司馬炎は父の司馬昭(文帝)と祖父の司馬懿(宣帝)だけじゃなく伯父の司馬師(景帝)にもきちんと帝号を諡している訳だし、この件に関する陳寿の孫権に対する批判的なコメントから察して当時の価値観としてもその方が常識的な振舞っぽい -- 名無しさん (2020-03-01 08 59 31) 先代に帝号を与えてないわけじゃなく孫堅にはきちんと帝号を与えているからな。呉は豪族連合だから、孫策の息子に帝位を名乗る資格があると思わせて要らぬ跡目争いの種を撒きたくないのではないだろうか。司馬師の息子の司馬攸も、孫策の孫も、帝位を狙っているという噂はしっかり立ってしまってるわけだし -- 名無しさん (2020-03-11 02 36 35) マジで軍人としては驚異的だね -- 名無しさん (2020-04-03 01 42 44) 恋姫無双の孫策はいいキャラしてた。けだものw -- 名無しさん (2020-05-15 22 48 00) 孫策にも劉備と諸葛亮のように俺の弟が君主の器でなければお前がなれと張昭に言ったエピソードがある。 -- 名無しさん (2021-02-28 00 59 21) 王称号のことだが兄司馬師の子供は女のみ唯一の男子は養子の昭の子供。だから皇帝称号与えても問題なかったがこっちは男子の子孫がいるから色々まずい。事実孫晧みたいなやばいのが現れるまでは策の子孫は血みどろの政争に巻き込まれずに済んでたので判断としては正解。 -- 名無しさん (2021-08-30 06 41 57) 孫策がもうちょっと慎重な性格だったらな。呉が天下取れる可能性あったのって孫策の時代くらいだろうし。 -- 名無し (2021-11-10 19 40 00) 陳登に負けたのは直接対決じゃないぞ? 記述が甘い -- 名無しさん (2022-01-27 22 28 27) 天下取れる可能性あったのは周瑜魯粛の二人体制だったた頃くらいじゃないか。孫策は性格というよりそもそも行き当たりばったりで大局が見えずに行動してた節がある。暗殺がなくても遅かれ早かれ早死にしてそうだ。 -- 名無しさん (2022-02-02 23 56 40) ↑2 記述が甘い。なんて頭良さげな言い方するなら該当資料の名前挙げるくらいはしなきゃ -- 名無しさん (2022-11-12 18 09 37) 名前 コメント
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一般路線 C20605※未 C20606※未 C20609 C20610※未 C20707 C20708 C20709※未 C20712※未 C20805※未 C21009※未 C21010※未 C21011※未 C21012 C21057※未 C21058※未 C21219 C21220※未 C21221※未 C21222 C21224 C21309 C21410 C21411 C21412 C21413 C21414 C21415 C21416 C21417 C21418 C21422 C21423※未 C21810 C21811 C31229 C31230 C31231 C31232 C31308 C31318 C31319 C31320 C31321 C31322 C31323 C31324 C31450 C31451 C31452 C31453 C31801 C32003 C32216
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【武将攻略】孫権編 ——文韜武略を以て、江東を定める 三国の歴史を見返せば、忠義で仁厚な劉備、乱世の奸雄の曹操を思い出すでしょう。しかし、呉国の創始者である孫権について、人々は曹操の「子を生まば当に孫仲謀の如し」という嘆きしか覚えていないかもしれません。 実は、孫権という人物の評価については諸説紛々です。彼は少年時代から父と兄と共に戦い、江東の基礎を固めました。彼は賢人を求め、才能を持つ人を任用し、魯粛・呂蒙・陸遜などの賢才を抜擢し、赤壁の戦いで曹操を破りました。もちろん、劉備との連合を壊し、合肥で敗北したことで孫権を叩く人もいます。 では、ゲームにおいて、孫権はどんな能力と設定を持っているのでしょうか?早速見てみましょう! 【武将ファイル】 名前:孫権(字は仲謀) 本籍:呉郡富春県(現在の浙江省富陽区) 主な功績:呉国の建国 原型:三国時期、家業を引継ぎ、劉備と手を組んで曹操を撃破し、呉国を建てて三分天下 歴史評価:身を屈して、恥を忍び、計を重んじ、勾践の奇英あり、人の傑なり 武将生涯: 孫呉王朝の創始者であり、孫堅の息子、孫策の弟。孫権は幼い頃から文武両道に通じ、十五歳から父と兄と共に江東で戦い始めました。十九歳の時に孫策が暗殺され、そこで江東の事業を受け継ぎ、一方の諸侯となりました。赤壁の戦で劉備と孫劉同盟を結び、曹操を撃破しました。曹丕と劉備が帝と称した時に呉王に封ぜられ、呉国を創立し、その後、武昌で帝位につき、自ら呉帝を称し、建業に遷都しました。 【武技特徴】 1.武将タイプ: 孫権は文韜武略に精通し、全面的な属性を持っており、騎兵・弓兵・水兵など、様々な兵種を率いることができます。 武技は指揮に傾いているが、制御・ダメージ・防御も完備しており、主将として如何なる敵でも対応できます。 2.武技タイプ: (1)確定武技:江東威厳 孫権が江東に均衡を齎し、敵軍が通常攻撃をする度に、#1%の確率で洞察、#4%の回避、命中確定の中から一つの状態を4秒間獲得する。我が軍が通常攻撃をする度に、#2%の確率で「十万大軍」(現在の目標に与えるダメージが我が軍全体兵力で計算し、会心一撃は出現しない)、連撃、#3%の急速の中から一つの状態を4秒間獲得する。孫権が主将の場合、獲得したことのない状態を優先的に獲得し、そして全属性+20 (2)研究可能な武技:断案の剣 チャージ攻撃、自身が攪乱状態に陥り、2名の敵軍に108%の武力ダメージを与え、その謀略ダメージを25%低減させ、持続時間は6秒 3.推奨編成: 孫権、孫尚香、孫策: 主将である孫権が「断案の剣」で自身の武技と合わせて高確率の制御を提供します。 副将孫尚香は防御低減及び守護を提供し、副将孫策が八門で孫権の攻撃速を増加させます。 猛虎系の核心編成であり、孫策と孫尚香は入手しやすいので、容易に組める編成です。 同時に、初心者たちのお気に入り編成でもあり、どんな編成に対しても勝つ可能性を秘めています。
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ソンシュン 列伝 孫堅の弟・孫静の曾孫。孫恭の子。孫綝の従兄。 【演義】 孫権に気に入られ、近衛を統率するが、諸葛恪に職権を奪われる。253年、滕胤と共謀して諸葛恪を斬り、丞相、大将軍となって政権を欲しいままにした。その後、病死し、従弟の孫綝が後を継ぐ。孫綝もまた暴政を敷いたため孫休に討たれ、その際、孫峻の墓も暴かれた。 【正史】 孫権臨終の際、次帝・孫亮の補佐役に諸葛恪を推した。諸葛恪暗殺後、密通していた全公主(孫魯班)と対立する孫和を自殺させる。孫英、孫儀らに殺されそうになるが阻止し、朱公主(孫魯育)も連座させた。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 64 70 65 26 11 236 134 199 順位 326 229 330 583 659 529 273 201 偏差値 53.0 56.0 53.0 36.2 24.5 42.2 54.8 55.8 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B C B C C B 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 59 54 49 52 53 51 56 45 49 38 56 49 順位 219 267 317 365 176 258 293 368 294 361 150 208 偏差値 55.5 52.8 52.3 49.8 56.2 52.7 52.1 49.8 53.4 50.1 57.3 54.3 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 115 揚州 名声 中華統一 重視 1/5 5/5 1/3 219 238 256(38歳) 自然死 小心 小心 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫峻 親愛 孫魯班、文欽 孫魯班、文欽 嫌悪 諸葛恪 諸葛恪 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 呉 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 未登場 呉 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 未登場 呉 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 未登場 呉 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 未登場 建業 - - - 0 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 7歳 未登場 建業 - - - 0 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 100 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 未登場 呉 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 未登場 呉 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 未登場 建業 - - - 0 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 呉 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 一般 柴桑 孫魯班 120 長水校尉 0 - - 顔ヤバ過ぎ… -- (名無しさん) 2010-07-17 01 19 52 こんな顔だが魯班おばさんと密通してたんだぜ… -- (名無しさん) 2010-07-21 01 46 53 顔の事しか言われてないのもかわいそうなので 能力的も適正も二流以下の武官といったところだが 脳筋の多いこのランクの武将の中では知力がそこそこある為 適性を補ってやれば使ってやれない事もない -- (名無しさん) 2010-07-21 07 17 41 しかも英雄乱舞では君主に!孫魯班等孫呉を衰退させた残念な面々を率いている。 一応、統武知は並程度は有るので、フルチューンすればあるいは……。 -- (名無しさん) 2010-07-21 07 46 56 こんな人間のクズわざわざ使う必要はないと思うが、二流武官の中ではわりと知力はあるので鍛えれば戦に出せる。 といっても短命なので注意。 -- (名無しさん) 2011-04-26 06 24 19 ↑×2魅力は董卓・李傕以下だから君主としては失格だけどね。 というか英雄乱舞をわざわざこいつの勢力でやる人っているのか? -- (名無しさん) 2011-05-01 14 29 48 こいつの勢力でやるマゾプレイヤーは普通にいると思うw で、そのシナリオの場合はこいつも前線に出ないといけないだろう。 戦闘能力は悪くないのだがやはり適性が足を引っ張る。 何とか適性を上げたいところである。 それ以外のシナリオで使う事はまずないだろう。 -- (名無しさん) 2012-12-05 16 47 04 君主として魅力低すぎて、捕虜登用時の忠誠が低い。大量に登用すると、大概引き抜きに合う。 -- (名無しさん) 2013-02-05 09 09 03 孫チンと共に最低のマスクデータの持ち主だが統武知の能力値は199とそれなりにあり(曾祖父の孫静より高い)弩Bで火矢も使えるので英雄乱舞で君主をやっているがそこまで悪くもない。意外に配下からは嫌悪されてもいないので。魅力が論外だが -- (名無し) 2013-02-16 00 16 01 どうしようもない従弟とは違って平凡な武官程度の能力はあるし嫌悪武将も少ない マゾプレイには丁度いいのでは -- (名無しさん) 2015-04-09 16 48 48 この顔グラはネタ? 見て吹いたわ。 -- (名無しさん) 2016-09-09 11 27 56 英雄乱舞のシナリオで、COMの場合、大抵真っ先にやられているが、こいつで統一された方いますか? -- (名無しさん) 2016-09-20 20 21 01 ↑やろうとしたけど無理でした。 -- (名無しさん) 2016-10-24 19 14 02 無理。本人も配下もメンツがひどすぎる。 -- (名無しさん) 2016-11-06 17 23 22 ちょっとやってみたが、魏延を吸収するところまではできたので(難易度普通)、普通に行けると思う。リセットありなら。 基本は棺桶で削る→衛瓘使って魏延の配下をひたすら捕縛捕縛(成都の方は隣に曹操がいるのであんまり攻めてこない)。頭数を減らしたところで早いとこいただくのがよい。 時間かけると曹操があっという間に巨大化して詰むが、衛瓘の早めの登用に成功すれば決して超難易度というほどではない。捕縛がいかにチート特技であるかわかる。 しかしここまで書いといてなんだが、こういうのはシナリオ別攻略のとこに書くべきだったね・・・ -- (名無しさん) 2016-11-06 21 54 22 リセットなしで、こいつで英雄乱舞でクリアした人、いるのかな? -- (名無しさん) 2016-12-24 17 11 49 リセットなしっていっても開始後最優先で発見→登用するだけだから、失敗したら諦めて最初からやりなおせばいいんだけで縛りにはならない。 やりなおしも禁止で1発でいけってんならそりゃ厳しいが、そんな無茶な条件ならクリア不可能なのはS16のこいつだけじゃない。 どちらからの攻めでも棺桶が使える地の利と捕縛のシナジーがすさまじいから、弱小勢力の中では全然楽な方だよ。 S16で言えば劉琮とか張昭とかの方がずっと厳しい。 -- (名無しさん) 2017-04-12 14 55 52 劉鯮は、あれは諦めなさいと言ってるようなもん。主人も配下もどうしようもない。逃亡もできない。 張昭はまだ配下に恵まれてる。初手さえ何とか凌げればいける。 -- (名無しさん) 2017-04-17 18 45 36 顔がすごすぎる…… -- (名無しさん) 2021-02-06 09 32 10 弱い -- (名無しさん) 2021-09-25 19 40 58 名前 コメント すべてのコメントを見る
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名稱:孫堅 伺服器及顏色: 3、5服紫 類型:武 性別:男 生命值:3811 武力: 72 智力: 67 防禦: 43 敏捷: 59 運勢: 75 敘述: 孫堅,據傳為孫武的後代,縣吏出身,因勇敢又有謀略被官府賞識,提拔為軍官。後董卓亂政,孫堅聯合袁術,參加了諸侯聯軍,征討董卓,表現最為積極,數次擊 敗董卓的部隊;董卓遷都長安,孫堅進兵洛陽,修復被董卓破壞的皇陵後返回魯陽。不久,孫堅受袁術派遣與劉表交戰,擊敗了劉表部下黃祖,卻在一次追擊中被黃 祖的士兵射殺。孫堅的兒子孫策、孫權後來創建了東吳政權。
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ソンイ 列伝 呉の武将。孫韶の子。孫楷の弟。 【演義】 263年、蜀の諸葛瞻からの援軍要請を受け、丁奉、丁封らと共に救援に向かう。しかし、蜀が魏に降伏したため引き上げた。その後、司馬昭の侵攻を警戒して、南徐の守備についた。 【正史】 領軍将軍まで昇進した。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 69 71 55 62 61 318 140 195 順位 242 202 420 322 350 224 209 231 偏差値 55.2 56.4 48.1 52.5 50.8 54.7 56.1 55.0 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B B A C B A 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 60 58 57 63 61 62 57 48 57 47 64 59 順位 185 222 190 226 81 130 282 323 157 184 61 75 偏差値 55.9 54.6 55.9 54.5 60.3 58.2 52.5 51.3 57.5 55.6 61.3 59.9 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 122 揚州 任意 地方統一 重視 3/5 3/5 2/3 223 237 272(50歳) 自然死 剛胆 剛胆 普通 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫異が親愛する武将 なし 孫異が嫌悪する武将 なし 血縁 世代 ● 1 ● 孫河 2 孫韶 孫桓 3 孫異 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 呉 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 未登場 呉 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 未登場 呉 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 未登場 呉 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 未登場 建業 - - - 0 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 3歳 未登場 建業 - - - 0 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 未登場 呉 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 未登場 呉 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 未登場 建業 - - - 0 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 呉 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 江陵 - - - 0 - - ろくに記録に残ってないのに意外と能力や適性に恵まれている 父親の功績のおかげで盛られたか -- (名無しさん) 2012-05-04 15 11 18 名前 コメント すべてのコメントを見る
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ソンコウ 列伝 孫静の三男。孫瑜の弟。孫権の従弟。 【演義】 孫権が関羽を攻めようとした時、呂蒙と共に関羽討伐の指揮を任されそうになる。しかし、指揮官を2人置くと指揮系統が混乱するとして呂蒙が拒否したため、後方からの補給を担当することになった。 【正史】 曹操軍が濡須に侵攻するたびに迎撃して食い止め、精鋭と評される。程普、黄蓋、孫瑜らが死ぬと、後任となり兵を引き継いだ。演義と異なり、関羽討伐戦では呂蒙と共に出陣し、荊州平定に大きく貢献している。些細な理由で甘寧と喧嘩し、孫権に仲裁されたこともある。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 77 72 66 71 73 359 149 215 順位 107 178 310 224 163 96 123 115 偏差値 58.8 56.8 53.5 56.5 57.1 60.9 58.2 59.2 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B A A C A A 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 60 65 65 80 62 69 58 54 65 59 65 66 順位 185 144 107 76 61 74 273 237 59 59 55 43 偏差値 55.9 57.8 59.6 61.7 60.8 61.8 52.9 54.2 61.5 62.9 61.8 63.9 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 運搬 輸送部隊の陸上・水上移動力+5 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 126 揚州 実績 中華統一 重視 3/5 3/5 2/3 181 200 219(39歳) 自然死 猪突 猪突 豪放 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫皎 親愛 孫策 なし 嫌悪 なし なし 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 4歳 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 10歳 未登場 呉 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 14歳 未登場 呉 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 20歳 一般 建業 孫策 120 - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 27歳 一般 建業 孫権 120 - 3000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 31歳 一般 柴桑 孫権 120 - 5000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 18歳 未登場 建業 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 23歳 一般 建業 孫権 120 - 2000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 37歳 一般 桂陽 孫権 120 裨将軍 10000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 7歳 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 11歳 未登場 呉 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 長沙 - - - 0 - - 固有台詞 処断時「孫呉のため こんな所で死ぬわけには いかんのに……」 能力値・適性とも全体的に高いが、特技が運搬なのが痛い。 運搬自体は有効な特技だが、優秀な武将には向かないので、噛み合っていないこと夥しい。 寿命も短めな上、さらに自然死と恵まれない不遇な武将である。 -- (名無しさん) 2010-10-31 15 08 07 かなり期待・信用されてた人 長生きしてりゃゲームでも呉の重鎮としていたかもしれない。 とは言え統率・武力ともにそこそこあり、適性も十分 知力のみ高いタイプのお供や弓を率いて後方から援護+建設補助と活躍の余地は十分ある。 ただし孫呉は彼を超す人材がいくらでもいるから・・・輸送隊を率い続けることになるでしょう。。 -- (名無しさん) 2010-12-23 06 09 01 とりあえず、S6やS11では219年を迎えたら輸送はしないほうがいい -- (名無しさん) 2012-05-20 23 43 14 なんで孫策を親愛しているんだ? -- (名無しさん) 2012-06-29 14 43 48 蒼天でコイツのファンになった -- (名無しさん) 2014-03-27 19 55 20 219年で死ぬのは関羽のたたり?呉は風土病で早死にする人が多いね。 -- (名無しさん) 2014-03-27 20 18 00 主戦線で部隊長を張るにはやや物足りないが、後方の太守兼輸送屋としては過剰という微妙な武将。 かといって運搬を書き換えるのは流石にもったいないので、能力と適正がもったいないと思われながらも太守兼輸送屋にされがち。 しかし太守としての能力を持っている輸送屋はいなくもないが、戦闘能力まで兼ね備えているのはデフォルトでは彼ぐらい。ハードな登用数縛りなどでプレイしていると、俄然その価値が急上昇してくる。 -- (名無しさん) 2014-09-19 02 32 30 「帯に短し襷に長し」とは彼のためにある言葉か。 孫呉の層の厚さや寿命を考慮すると、長い襷=過剰な能力の運搬役として働かせるのが無難か。 ゲーム的には襷がいくら長くても困らないので。 -- (名無しさん) 2015-08-18 23 46 11 孫呉って、使える親族は本当に早世してるね。編集して寿命延ばしてもいいかも。運搬で義理高いし。 -- (名無しさん) 2016-09-10 09 10 48 孫呉の支配地域は遠方に港がある場合が多いので、序盤は兵力集中させるのに使える 魅力もそこそこ高いので魅力中を2つ使って運搬の移動力を生かした遺跡や廟を探索する係にしてみても良いかも? その場合大体のシナリオで港・都市間の反復輸送などで功績値を稼ぐ必要はあるが -- (名無しさん) 2017-04-20 01 41 25 黒・虎・背・剣!! -- (名無しさん) 2019-05-17 12 27 38 名前 コメント すべてのコメントを見る
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孫策 SSR/人間/男/君主 この孫策伯符こそが江東の覇主だ!(孫策) 契約による強化(個人技によるバフ効果を含める) 契約レベル 先攻 防御 回避 王者 戦力アップ、付加効果 +1 1 0 0 0 戦力+5% +5 4 4 2 1 戦力+25% +7 7 6 2 2 戦力+40%連撃が可能になり連撃率が10%アップ 宝具による強化(宝具:覇王槍) 宝具鍛造レベル 先攻 防御 回避 王者 +1 0 1 0 0 +3 0 4 0 1 +4 0 6 0 3 宝具強化レベル 戦力アップ 付加効果 +1 +6% +5 +30% 防御+2、回避+1 +7 +48% スキル「覇王」発動後敵の防御を4下げる 所持スキル 覇王(個人技) 効果 発動条件 5%の確率で107%の純粋ダメージ。防御回避不可防御が40上がるごとに王者が1アップ。(最大8) 一脈相伝(合体技:孫尚香が同一陣営内にいる) 効果 発動条件 先攻が5ダウン、回避が5ダウン、王者が10アップ 孫尚香のページはこちら
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孫偓 そんあく 844-919 晩唐の宰相。字は龍光。孫景商の子。孫儲の兄。進士に及第し、戸部侍郎同中書門下平章事(宰相)となって、門下省に遷り、鳳翔四面行営都統となった。乾寧三年(896)礼部尚書・行営節度諸軍都統招討処置等使を兼任し、楽安県侯に封ぜられた。翌年朱朴とともに宰相を罷免され衡州司馬に貶された。赦免にあって帰州刺士となったが、朱全忠によって太常卿に任じられた。後梁が成立すると山水に遊び、再三の任官と呼び出しに応じなかった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。 列伝 『新唐書』巻一百八十三 列伝第一百八 朱朴 孫偓 『旧唐書』巻一百七十九 列伝第一百二十九 朱朴 孫偓 外部リンク 維基百科,自由的百科全書 孫偓(中文) https //zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%AD%99%E5%81%93
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孫権 特性:英雄 兵科:歩兵系 弓兵系 友好武将 朱然 孫韶 周泰 備考 孫策が死亡した後の呉の総大将。孫策が死亡しない場合でも孫尚香とともに途中加入してくる。 もともと練度が50あり、水軍兵になっているため川が多いマップではめっぽう強い。また70まで練度を上げ、強弩兵にすると統率の伸びもよい。 戦法に関しては早い段階で援護、後詰、激励、挟撃、一斉攻撃、波状攻撃、倚角など統率系の使いやすい戦法を多く覚える。特性の英雄も相まって使い放題も可能。 ただし、劉備や曹操と違い後方奇襲を覚えないため自ら起点となることが難しい。また加入時期によっては階級差が激しく、すぐやられる欠点も。 劉備や曹操と比べ扱いが難しいが郁林にある史記など、アイテムを使いつつ地道に武勲を稼ぐといいだろう。 激励「臆病者は真っ先に死ぬぞ!」 援護「助太刀する!」